- いろいろなショウジョウバエ
キイロショウジョウバエ
正常なハエ 種名 D.immigrans 眼の色の変異 変異名 prune white-eosin sepia 種名 D.melanogaster D.melanogaster D.melanogaster 体色の変異 変異名 yellow black 種名 D.melanogaster D.melanogaster かたちの変異 変異名 dumpy vestigial eyes missing 種名 D.melanogaster D.melanogaster D.melanogaster キイロショウジョウバエの仲間たち
変異名 - - - 種名 D.seguyi D.pennae D.serrata 変異名 - - - 種名 D.virilis D.immigrans D.quadraria 変異名 - - - 種名 D.lutecens D.bicornuta D.baimaii 資料:林 茂生
- メンデルの法則
メンデルの法則を知ってますか?
資料:林 茂生
- ハエの名前の付け方
T.S.エリオットの作った詩に「猫に名前をつける」というのがあります。
原文はここ、北村太郎訳はここをクリック
猫には、「日ごと夜ごとの平凡な呼び名」、「ぜったいこの猫以外にゃー通用しないっていう名前」、「深みのある謎めいた驚くべき名前」の3つの名前があるという内容です。
ここではハエの名前の場合をお話しします。ハエの名前といっても、ゴミ箱のまわりを飛び回っているハエ一匹一匹に名前を付けようてえんじゃーありません。まず、ハエはハエでもショウジョウバエという小さなハエで、遺伝研を始め、広く遺伝学的研究に使われている「高尚な」ハエです。次に名前といってもハエ一匹一匹の名前ではなく、ハエの遺伝子の名前の付け方についてです。
「遺伝子」というのは親から子に伝えられる個々の情報を担うDNAの領域のことです。遺伝子を調べれば、生き物がどうやって作られ、機能するかといったことの情報が得られますから、世界中で大勢の科学者が遺伝子の研究をしています。人には数万個、ショウジョウバエでも1万個以上の遺伝子があって、これにひとつひとつ名前を付けようというのですから大変な作業です。通し番号という考えもあり得ますが、それでは、遺伝子5839は眼を作る遺伝子、遺伝子7204は学習の遺伝子なんてふうに覚えるのは大変です。遺伝子の名前を聞けば、何となくその遺伝子が何をしている遺伝子かわかったり、記憶する手がかりになるという名前を付けたいものです。1. 遺伝子の名付け方の基本
ショウジョウバエの遺伝子の名付け方の第1原則は、「突然変異の症状に基づいて名付ける」ということです。例えば、普通ショウジョウバエは赤い眼をしていますが、1910年にT. H. Morganは白い眼のショウジョウバエ発見し、この症状が性に相関して遺伝することを報告しました。この原因遺伝子には“white”という名前が付けられています。白目だから“white(白)”、簡単でしょう?
では遺伝子の名前からその本来の機能についてどんなことがわかるでしょう ?“white”という名の遺伝子は、その機能がなくなると目が白くなるのです。つまり、white遺伝子の機能は「目の色を白くすること」ではなく、「目の色を白くしないこと」なのです。だから、遺伝子の名前を聞くと、その遺伝子が働かなければどんなマズイことが起こるのかがわかります。言い換えれば、生物はその遺伝子を働かせることによってそのようなマズイことが起こらないようにしているのです。「目の色が白くてなんでマズイんや。」と思われる方がいらっしゃるかもしれません。目の赤い色素は、光を受け取る細胞が一方向からのみの光に反応できるよう周囲からの光を遮断する、という働きを持っています。ですから、白目のハエは赤目のハエほど優れた視力を持っていないのです。
実は、ショウジョウバエというのは古くは「猩猩蝿」と書き、中国の想像獣である猩猩に由来しています。猩猩は「体は狗のごとく、声は小児のごとし、朱紅色の毛は長く、人面似て人語を介す。好みて酒を飲む」のだそうです。ショウジョウバエの眼が赤く、アルコールの匂いが好きなことから名付けられたのでしょう。今でも遺伝研本館2階の発生遺伝研究部門にこの字で書かれた研究室の看板がかかっていますから、機会があれば見に来て下さい。
じゃあ、次のような突然変異症状を遺伝子には、どんな名前が適当でしょう?
1)眼がないから”eyeless(眼なし)„。他にも似たような症状を示す遺伝子に、“eyes absent”、“eyegone”、“sine oculis(sineはラテン語で“without”の意、oculisは眼)„があります。これらの遺伝子は「目を作る」という仕事をしているのです。
2)二つともハネの形が変ですね。左のはハネはほとんどないから“ves tigial(痕跡)”、右のはハネが反り返っているから“Curly(巻き毛の)„。ハネを作り、それをまっすぐに伸びた形にするには、これらの遺伝子の働きが必要だということがわかります。
こまでに出てきたの遺伝子はすべて成虫(親)の外見を変える遺伝子でした。しかし、遺伝子の機能は形作りに限りません。以下のような名を持つ遺伝子の突然変異はどんなハエであるか想像がつくでしょう?
- flightless(飛べない)
- paralytic(麻痺の)
- hyperkinetic(運動過剰)
- still life(静物画)
- dunce(バカ)
- drop dead(ぽっくり病)
- platonic(プラトニック。そう、プラトニックラヴの"プラトニック")
このような遺伝子のほとんどは神経系で働いています。paralytic遺伝子が機能しているからこそ、ハエは麻痺しないで動けるし、dunce遺伝子の働きで、ハエは学習できるのです。つまり、このような遺伝子の作用機構を調べることによって、動物の運動・学習・性行動などの高次機能の仕組みを探ることが出来ます。
突然変異の症状に基づいて名付けると言っても、描写的、解説的に付ける必要はありません。比喩でもいいのです。次の名前の遺伝子の突然変異はすべて、ハエの発生過程で形を変化させますが、どういう症状かわかりますか?2. 突然変異症状に基づかない遺伝子名
遺伝子の名は必ずしもその突然変異症状に基づいて付ける必要はありません。突然変異系統がまだ存在しないのに名前を付ける必要に迫られる場合もあるし、変異症状を見つけられない場合だってよくあるのです。そんなときには遺伝子産物に基づく遺伝子名が付けられます。酵素の場合、そういう例が多いですね。症状がないわけではないけれど、症状より産物の機能・発現パターンなどの性質を強調したいときにもこの方法が採られます。例えば、
- Adh: alcohol dehydrogenase(アルコール脱水素酵素)
- drk: downstream of receptor kinases(受容体型チロシンキナーゼの下流で働く因子)
- fasciclin(fascicle=神経繊維の束 で発現している膜蛋白質)
遺伝子機能の希望的観測を名前にする場合もありますが、差し障りがあるので例は挙げません。
3. 遺伝子名の系譜
ショウジョウバエの世界では、遺伝子に名前を付けるとき、既にある遺伝子に あやかって名付けるということがよく行われます。複眼の発生を司っている遺伝子にこの例が特に多く見られます。複眼は個眼という単位が約800個集まってできています。ひとつひとつの個眼の中には光を検出するニューロン(神経細胞)が8個入っていて、R1、R2、...R8と名前が付いています。この8個のニューロ ンのうち、R7と呼ばれるニューロンはこの中でただひとつ紫外線を感じるニューロンです。1976年に、個眼の8個のニューロンの内、R7ニューロンだけができない突然変異が見つかりました。7番がないのだから、「ショウジョウバエの遺伝子の名は、突然変異の症状に基づいて名付ける」という第1原則に基づきこの遺伝子名は “sevenless(7なし)”と付けられました。12年後、1988年になって、sevenless同様にR7ニューロンだけができない変異症状を示す別の突然変異が見つかりました。さて、“sevenless”という名前はもう取られていますから別の名前を考えなけれ ばなりません。そこで付いた名前が“bride of sevenless(sevenlessのお嫁さん)”です。似たもの夫婦というわけですね。その後の分子的生物学的解析により、sevenless蛋白質はbride of sevenless蛋白質と結合するということもわかりました。そこまで見通して名前を付けるというのはかなりセンスが必要ですね。さて、今度はsevenlessやbride of sevenlessの機能に関係する遺伝子がいくつか同定されました。これらの遺伝子に与えられた名前は、...もうおわかりですね、“son of sevenless(sevenlessの息子)”と“daughter of sevenless(sevenlessの娘)”です。逆に言うと、遺伝子名に姻戚関係があることから、それらの遺伝子が機能的にも関係が深いということが推察できるのです。
一方、sevenlessとは逆にR7ニューロンが過剰にできる突然変異が見つかりました。R7の数が上昇(up)しているのだから、遺伝子命名の第1原則に基づき名前は当然(?)“seven-up(セヴンアップ)”です。では、seven-upとよく似た症状を示す別の突然変異体が 見つかったらどうなるでしょう?sevenless、bride of sevenlessの例に則って、“bride of seven-up”と名付ける手はありますが、この蛋白質がseven-up蛋白質と結合するかどうかなんてことまで予想できません。そこで付いた名が“sprite”。そう、7-upもスプライトもよく似た味の炭酸飲料だから、seven-upとよく似た変異症状を示す遺伝子の名としては理屈に合っているでしょう?
sprite遺伝子はその後、既に同定されていた“lozenge”と呼ばれる遺伝子と同じものであることがわかり、“sprite”という名は遺伝子名として残りませんでした。いい名前だったのに、残念!
ひょっとしたら、こんなダジャレみたいな名ばかり付けてるショウジョウバエ研究者の教養を疑う人もいらっしゃるかも知れません。そんな人のために、文学的素養の必要な名前の例をいくつか。- 腹部ができなくて胚性致死の症状を示す遺伝子に“oskar(オスカー)”というのがあります。これは、ギュンターグラスの「ブリキの太鼓」に登場する成長をやめてしまった少年の名前です。体長が短い変異体の原因遺伝子名としては理にかなっていますね。また、oskar遺伝子から作られるoskar mRNAに結合する蛋白質をコードする遺伝子は、同じ小説に出てくる“bruno(ブルーノ)”です。oskar遺伝子もbruno遺伝子も胚の腹の部分を形成する過程に関わっています。
- 胚神経系発生過程で、ニューロンの運命を変える突然変異に“prospero(プロスペロ)”というのがあります。これは、シェークスピアの「嵐(テンペスト)」に登場する預言者で、運命を変える能力があるということから命名されています。さて、prospero蛋白は細胞分裂の際に分裂前の細胞の片側に局在するのですが、そこでprospero蛋白と結合し、prospero蛋白質を引き留めている蛋白質が見つかりました。その名も“miranda(ミランダ)”、Prosperoの娘です。シェークスピアの劇中では、Prosperoに伴って島(細胞分裂の娘細胞?)に行ったという話ですから、まさにうってつけですね。実際、miranda蛋白質は二つの研究グループによって同時に発見されたのですが、両グループは独立に“miranda”という同じ名前を付けています。mirandaの働きにより、prosperoが細胞の片側に局在することにより、分裂後の2つの細胞が異なる細胞運命をとることができるのです。
もっとも、このような命名法に反発する人もいます。ほ乳類の研究者など、ハエの世界ほど命名に 遊びの精神が許されていない人に多いようです。この問題に関するNature誌上での議論に関心のある人は、以下の文献をご覧ください。
Nature 389, 1 (1997).
Nature 389, 665 (1997).4. 練習問題
以下の写真に示すように、剛毛(体表面に生えている毛)の形がおかしい突然変異を見つけた。原因遺伝子に、変異症状にふさわしい名前を付けよ
答えはここをクリック。
5. 一風変わって威厳のある名前
T.S.エリオットによれば、猫には「一風変わって威厳のある名前」があるということですが、ハエではどうでしょう?以下の名前がどうして付けられたか想像できますか?
答えを見るには遺伝子名をクリックしてください。(1)tudor:イギリスのチューダー家。
ヘンリー8世(写真)、エリザベス1世などはこの家系出身
(2)klingon:テレビシリーズStar Treck(スタートレック)に登場する異星人
(3)egalitarian:平等主義者
(4)tinman:オズの魔法使いに出てくるブリキ男
6. ハエの遺伝子にも三つの名前が必要か?
猫には三つの名前が必要でも、ハエの遺伝子はどうでしょう?遺伝子名というのは研究者がみな共通の背景・知見にもとづいて議論するときに使うものだから、ひとつの遺伝子に名前がいくつもあったのでは分かりにくくて困ります。でも実際には、名前を3つどころか5つも6つも持っている遺伝子もあるのです。いくつかの研究グループが独立に同じ遺伝子を発見し、それぞれが自分の好きな名前を付けたときに、このようなことが起こります。こんな時には、自分が付けた名前を遺伝子名として世界中に認めてもらおうと、壮絶な戦いが行われます。どうやって戦うのかですって?それは、その遺伝子について自分の書いた論文を、できるだけ人の眼に触れやすい雑誌に、できるだけたくさん載せることによって行われるのです。ですから論文になるような研究成果がでないことには話になりません。ショウジョウバエ研究者というのは、名前を付ける才能だけではやっていけないことがおわかりでしょう?
ここで説明した遺伝子については、多くの人の研究の結果、色々なことがわかっています。生物学的機能や遺伝子産物についてもっと知りたい方は、ここを覗いてみてください。参考資料
- Fleming, V. dir. (1939). The Wizard of Oz.
- Flybase:http://flybase.net/
- Ghabrial, A., Ray, R. P., and Schubach T. (1998). okra and spindle-B encode components of the RAD52 DNA repair pathway and affect meiosis and patterning in Drosophila oogenesis. Genes Dev. 12, :2711-2723.
- Griffiths, A. J. F., Miller, J. H., and Suzuki, D. T. (199?). An Introduction to Genetic Analysis.6thed. W. H. Freeman & Co.
- Hans Holbein the Younger. "Henry VIII " Royal Collection, Her Majesty Queen Elizabeth II
- The Interactive Fly: http://www.sdbonline.org/fly/aimain/1aahome.htm
- Lindsley, D. L. and Zimm, G. G. (1992). The Genome of Drosophila melanogaster. Academic Press Inc. San Diego.
- Morgan, T. H., Bridges, C. B., and Sturtvant, A. H. (1925). The genetics of Drosophila. 'S-Gravenhage, Martinus Nijhoff.
- Okabe, M. National Institute of Genetics
- Riggleman, B., Wieschaus, E., and Schedl, P. (1989). Molecular analysis of the armadillo locus: uniformly distributed transcripts and a protein with novel internal repeats are associated with a Drosophila segment polarity gene. Genes Dev. 3, 96-113.
- Turner, F. R. Indiana University.
- 渡辺隆夫(1995)ショウジョウバエ物語 裳華房
- hedgehog: http://HedgehogHollow.COM/eurohhog.html
- gooseberry: http://www.ars-grin.gov/ars/PacWest/Corvallis/ncgr/cool/rib.jahns.html