遺伝学発展の流れ

昔から「子は親に似る」ということわざがあるように、親子、兄弟は何となく顔や姿が似ていることは疑う余地がない。第二次大戦後、異国に取り残された残留孤児が自然環境や食生活も異なった外地で、幼児の時から何十年も生活した後帰国し、ようやく探し求めた肉親と再会したときの孤児と肉親との顔かたちの何とよく似ていることか。

紀元前4000年の古代バビロニアに残された石のタブレットには、図1・1のようなウマの頭やタテガミの特徴の伝わり方が数世代にわたって克明に刻まれている。当時食物や飲み物として利用する動物や植物の系統やその特徴が、遺伝学的に子孫に伝わることが知られていたことを示している。

古代バビロニアの石のタブレットに刻まれたウマの頭やタテガミの特徴の伝わり方


このように生物の形や大きさ、そしてそのほとんどすべての特徴が遺伝子によって支配され、それが親から子へ、子から孫へと伝わることが次第に明らかになった。このことが明瞭に示されるのは一卵性双生児である。一卵性双生児はもともと1人の人間として発育するはずの1個の受精卵が、発生の初期に2個に分れ別々に発育したもので、その遺伝的組成はすべて同一である。生れてすぐに1人は田舎、他の1人は都会というまったく異なる環境で育ち、受けた教育もすべて異なっている一卵性双生児が、顔や体つきはもちろん、知能指数までほとんど同じであったという例はアメリカでも報告されている。

このような遺伝現象の研究が近代科学として成立したのは、Mendelの法則の発見に始まる。オーストリアの修道院の牧師であったMendelは、その庭でエンドウの交配実験をして三つの重要な遺伝の法則を発見した。この法則が動物植物の多くの遺伝現象をよく説明したが、その中でこのMendelの法則に合わない現象が見つかった。Mendelの独立の法則では、異なった二つの遺伝子はそれぞれ独立に子孫に伝わり、お互いに干渉されることはない。しかし時には二つの遺伝子が一緒になって子孫に伝わる現象が見つかった。

これは遺伝子の連鎖といわれる現象で、二つの遺伝子が同じ染色体上に存在することによって起る現象である。さらに、今度はこのように連鎖していた二つの遺伝子の連鎖関係が破れる現象が次に見つかった。これは二つの遺伝子が存在している染色体が切断されて、再結合されることによって起る現象で、遺伝子の乗換えといわれる。

この遺伝子の乗換えの頻度を利用して、遺伝子相互の相対的な距離が推定されるようになり、染色体上に存在する遺伝子相互の位置関係を示す染色体地図が作成された。この染色体地図は交配可能な高等動植物のみならず、細菌やバクテリオファージでも作成されているほか、細胞融合を利用した雑種細胞を使って、ヒトの染色体地図も作成されている。

このような遺伝現象をつかさどる遺伝子については、その化学的本体が、DNAであることがわかり、1953年WatsonとCrickがDNAの二重らせんモデルを提出してからは、分子レベルでの遺伝現象の解明が可能になった。DNAの複製やその発現としてDNAから伝令RNA(mRNA)を経てタンパク質が合成されるいわゆるセントラルドクマが分子遺伝学の幕開けとなった。Mendelの法則が現象面での遺伝学の基礎的法則とすれば、WatsonとCrickのDNAの二重らせんモデルは化学的な面での遺伝学の基礎をなすものである。

分子レベルでの遺伝学は、最初は微生物を主としたものであったが、しだいに高等動植物を対象とした研究に発展し、発生や形態形成の問題にまでおよび、ホメオティック遺伝子なども知られるようになった。また、これまで遺伝子は染色体の一定の座位に固定して存在すると考えられていたが、染色体を抜け出して他の染色体に移る「動く遺伝子(トランスポゾン)」などの存在も知られるようになった。本章ではこのような遺伝学の大きな流れについて述べることにする。

「基礎遺伝学」(黒田行昭著:近代遺伝学の流れ)裳華房(1995)より転載

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