資料提供者 ?森脇 五郎(国立遺伝学研究所名誉所員)からの御寄稿?
日本におけるショウジョウバエ遺伝学の歴史 他
日本におけるショウジョウバエの歴史「遺伝」33巻(5号)(1979年5月)
だいたい3期にわけて述べる。
- 黎明期から第2次世界大戦終結のころまで
1922年に九大の田中義麿教授が California大学から持ち帰られたキイロショウジョウバエ(D. melanogaster)が日本にもたらされた最初のショウジョウバエである。 ショウジョウバエ遺伝学を Columbia大学ではじめられたのがT. H. Morgan教授だが、京大教授であった駒井卓博士によれば、教授のところで生物学を勉強した日本人が4名あったが、その第1号は津田英学塾を開かれた津田ウメ女史である。第2の日本人はMorgan先生と一緒に学ばれた、私の大学時代の恩師谷津直秀先生である。
- 戦後の再建時代(約10年間)
戦後は海外からの研究情報を渇望したが、この頃東大の図書館に1部ずつ入って来た外国雑誌がもっぱら情報源だった。ショウジョウバエについてはDIS(Drosophila Information Service)が届くのを皆が待ち望んでいた。
今井先生が在米中親しくされた、Th. DobzhanskyがColumbia大学教授をしていられたので、1949年都立大学が創設の翌年、私は渡米してD. 教授のところで集団遺伝学を学んだが、帰国に際しての教授の忠告に従い、フタスジショウジョウバエ(D. bifasciata)を採集して、その研究に従事した。なお、放射線の影響研究を集団遺伝学と共に着手したのもこの間である。1939年(昭和14年)以降、理研の仁科芳雄博士の研究室に嘱託として、サイクロトロンからの中性子照射の影響を調査した。 - 国際遺伝学シンポジウム(1956年)以降
第12回国際遺伝学会議(XII I C G)が1968年日本において開催された。