色覚の多様性と色覚バリアフリーなプレゼンテーション |
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1.6 女性で赤緑色盲が少ない理由 赤緑色盲が伴性劣性遺伝をすることは高校の生物の教科書にも登場する。そこには女性はホモ接合体にならなければ赤緑色盲にはならないと説明されている。確かにほとんどのヘテロ接合体女性は、変異のある X 染色体を持つにもかかわらず色盲の表現型を示さず、保因者 (carrier) と呼ばれる。これは一方の X 染色体に変異があっても、もう片方のX染色体が正常型遺伝子を持つので、機能的に補われていると解釈されている。だがヘテロ接合体で赤緑色盲の女性も、まれではあるがいないわけではない。常染色体に載った変異遺伝子の場合と赤緑色盲のように性染色体に載った変異遺伝子の場合では、ヘテロ接合体で表現型が現れず劣性遺伝になる仕組みが大きく異なるが、このことはしばしば見過ごされている。 常染色体では、二本の染色体に載った対立遺伝子の両方が細胞内で同時に発現している。したがってその一方が変異を有していても、細胞には常に正常な遺伝子が発現し、すべての細胞において機能が補われることになる。しかし X 染色体は、男性では一本、女性では二本と本数が異なるので、そのままでは発現量に 2倍の差が生じてしまう。そこで女性の身体を構成する各細胞では、どちらか一方の X 染色体が不活性化 (inactivation、deactivation, lyonization) され、つねに一本の染色体の遺伝子しか発現しないように調整されている*7。二本ある X 染色体のどちらを不活性化させるかは発生の過程でランダムに決まる。したがって、X 染色体上の毛色遺伝子で決まる三毛猫の縞模様と同じように、女性の身体は X 染色体上の遺伝子発現に関してモザイクになっている。対立遺伝子の一方が変異型の場合は、他方の染色体の遺伝子によって機能が補われることはなく、個々の細胞レベルでは正常型か変異型のどちらかになる。言い換えれば、伴性劣性遺伝という概念は個体レベルでは成立するが、細胞レベルでは成立しないのである。 網膜においても、それぞれの錐体細胞では一方の X 染色体が不活性化されている。したがって赤緑色盲変異のヘテロ接合体女性では、正常染色体か変異の生じている染色体のどちらか一方が活性化された細胞群が、網膜上に平均 50%ずつの割合でモザイク状に配列している (図6)。ヘテロ接合体女性 (保因者) の頻度は日本人女性の 10%で、視細胞の半分は変異を持っているのだから、単純に考えれば 10%の半分の 5%は色盲になってもよさそうである。しかし実際には赤緑色盲の女性は 0.2%しかおらず、しかもその過半はホモ接合体である。ヘテロ接合体の女性は視細胞の半分で赤緑色盲変異が載ったほうのX染色体が活性化しているにもかかわらず、ほとんどの人は赤緑色盲の表現型を示さない。 これにはいくつかの理由が考えられる。まず第1に、変異の載った染色体が活性化された細胞群が、網膜上に大きなパッチを作っているとしても、それが網膜のどこに分布するかによって色覚への影響が異なることが挙げられる。色を認識するときは眼を動かして対象を視野の中心に持ってくるので、たとえ変異の載った染色体が活性化された細胞群が、大きなパッチを成して視野の周辺部に存在しても、色覚には影響しない (図6A)。そのようなパッチが視野の中心をなす網膜の黄斑部 (yellow spot) にあった場合のみ、色盲の表現型が表われる (図6B)。 第2 に、変異の載った染色体が活性化された細胞群が、比較的小さなパッチとして正常型染色体が活性化された細胞群のパッチと入り混じって存在する場合には、たとえそれが網膜の黄斑部であっても色盲の表現型が表われにくいことが挙げられる。眼は常に細かく動きながら物体を捉えており (サッケード)、多数の錐体細胞からの情報を総合して色を判断するので、パッチが入り混じった状態では実質的には 3種の錐体の比率が多少偏っているだけになる (図6C)。 各錐体の比率は、かなり大きく変化しても色覚には影響が出にくい。正常3色型色覚の人における網膜上の赤、緑、青錐体の割合は、平均で赤錐体が 60%、緑錐体が 30%、青錐体が 10%で、赤錐体と緑錐体の比が 2:1 と言われている。しかしこの頻度の個人差は大きく、たとえ赤と緑の比が 10:1 でも色覚検査では「正常」と診断される18)。最初の 2つの視物質遺伝子がどちらも赤オプシンになった X 染色体を持つ第2色盲ヘテロ接合体の女性では、網膜の中で赤、緑、青の錐体が 60%:30%:10% で分布する部分と、90%:0%:10%で分布する部分とが入り混じることになる (図6D)。この両者が入り混じると全体としては赤、緑、青の錐体が 75%:15%:10% で分布することになるが、上記のようにこの程度の偏りなら色盲の表現型を示さない。第1色盲のヘテロ接合体なら全体として 30%:60%:10% となり、やはりこの程度の偏りなら色盲の表現型は示さない19)。 ハイブリッド型の視物質を持つヘテロ接合体女性の場合、たとえば赤オプシンと赤型ハイブリッドオプシンを持つ第2色盲の場合には全体では赤、赤型ハイブリッド、緑、青の錐体が 60%:15%:15%:10%になり (図6E)、緑型ハイブリッドオプシンと緑オプシンを持つ第1色盲の場合には赤、緑型ハイブリッド、緑、青の錐体が 30%:30%:30%:10% になる。これらの場合も、赤錐体、緑錐体が存在するためにやはり色盲にはならない*8。 第3の理由に、色認識には左右の眼からの情報が統合されることが挙げられる。変異の載った染色体が活性化された細胞群が大きなパッチとして、両方の眼の視野の中心に同時に分布しない限り、赤緑色盲にはならないわけである。女性で片方の眼だけが色盲になっている人は存在するが21)、このような人は片眼ずつ調べて初めて色盲の表現型が出るのであって、通常の色覚検査では色盲と判定されない。このような人は、左右の眼で色の見え方が違うと感じることがある* 9。女性の体が X 染色体の活性に関してモザイクになっていることを機能的に検証できる例である。
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細胞工学Vol.21 No.7 2002年7月号[色覚の多様性と色覚バリアフリーなプレゼンテーション]
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